私の妊娠、出産の思い出

病院にいるときにつらつらと書いていたメモがあったので、書いてみました。


○長女のとき○






++妊娠中++
長女を妊娠した時は、まだ同居していなかったので、里帰り出産にしました。
この時は初めての子とあって、2ヶ月も前から実家に帰って
病院は近くの公立総合病院にしました。
(結局、お正月に迎えに来てもらうまでずっと実家に世話になってました。)
母もその病院で私たち兄弟を産んでいましたし、「何かあったときに安心」だという理由で。

妊娠中は さしたるトラブルもなく(予定日が近くなってから水分塩分制限を受けましたが(^^;)
担当医師からず〜っと診察のたびに「赤ちゃんが下がってきている」と言われていて
お腹の張りに神経質になったりもしましたが、予定日を過ぎてもな〜んの気配もナイ。
予定日を3日過ぎた頃、ひんぱんにお腹が張るようになってきたけれど
「陣痛」がどういうものなのかわからないので、不安のまま寝ました。

夜中、お腹の痛みに目が覚めて「これだ!」と思いました。
時計を見ると10分間隔。明け方まで待ってから母を起こし、トイレに行くと「おしるし」が。
「おおっ」とちょっと感動してしまいました(笑)
病院へ行く用意をしているうちにだんだん痛みは不規則になってしまったけど、一応病院に連絡。
内診を受けたけど、陣痛は遠のいていってしまった。


++いよいよ出産++
次の日。予定日から4日を過ぎた夜。
やっぱり夜になると痛い。前日の痛みよりさらに痛い。
痛みの間隔は規則的にならないけど、10分近くになっていたので診察時間になるのを待ってTEL。
病院でNST(分娩監視装置)をつけると遠のいていってしまう・・・
まだ出てきたくないの〜?2回目もフライング(^^;)

家に帰ってきて、そうじをしたり洗濯をしたりして動き回った。お昼過ぎ。
ほんのちょこっと妊婦体操をしようとしたとたんに、「ボンッ!」という低い音がして破水。
この頃には 陣痛の間隔が6,7分になっていたものの相変わらず不規則なままだったけど、
痛みはかなり強くて、トイレに行ってみると血液の混ざった水がドロドロ流れるのを見て、ボーゼンとしてしまった。
午後3時、仕事に行っていた母に電話して病院へ。
病院に連絡した時には、腰がくだけるかのような痛み。
しかも水が流れるような感じがして不安が増してくる。


++産まれる!++
診察を受けると先生に「もう頭が見えてるよ。すぐお産になるから」と言われて真っ青。パニックになりました。
こっちは陣痛の間はあまりの痛さに歩いて移動するのもツライなか、病棟に移って入院用のカルテやら何やら慌しく準備が進められました。
痛みの間は、何を言われても何をされても、とにかく「早くして〜」というのが正直な気持ち。
質問されても頭が朦朧としていて、ほかの事は何にも考えられなかった。
「初産だから、そんなに早くは産まれませんよ」という助産婦さんの言葉に、母はいったん仕事に戻ることに。

血液確保の注射をする頃には、痛みは最高潮に。
すぐに分娩台にあがって、浣腸、点滴、導尿など、されるがまま。説明されても返事もまともにできない。
NSTをつける頃には「発露」。
助産婦さんも慌てているのがわかる。結局、カルテを作る前にお産になってしまった。

痛みのために呼吸法もままならず、先生や助産婦さんに誘導される。
フーウン、フーウン、ヒッヒッフー
全身にがちがちに力が入っているのを自覚しているが、どうすることもできない。
いきみがきて、「出るー!出るー!」と叫んでいた(恥)
助産婦さんに叱咤されながら、呼吸法をしようとするが、果たしてできていたのかどうか。
「次のいきみで行くよ〜」の声に、「うーーーーーーーっ」
からだの中から塊を絞り出すような感じ。
何度か繰り返すうちに、ボコッと頭が抜け、続けて肩が。
ヤッター!女の子だ!バンザーイ!お腹が軽い!スッキリした〜
うわ〜っといろんな気持ちが、はっきりした頭に一気に流れ込んでくるようでした。
痛みがなくなってすっきりしたのもつかの間、後産と会陰縫合とが待っていた・・・



++後産++
先生がお腹を押すときの痛いことといったらなかった。
陣痛のときは、痛みで意識が朦朧としてくるけど、
後産の時は意識ははっきりしていて、ドカンドカンと痛みが襲い掛かってくる感じ。
でも、ようやく胎盤が出て、縫合も終わって、足を伸ばしたときの快感。
よく頑張ったよな〜、赤ちゃんも私も。終わったんだなぁと一息。


++赤ちゃん++
3075gの女の子でした。
外の世界に出てきて、一瞬の間の後、おンぎゃー!!と泣いた元気な産声を聞いて、しみじみと幸せをかみしめました(*^^*)
第一印象は夫の母にそっくり!だと思いました
うちの母は、「仕事に戻ってきて、いくらもたたないうちに、病院から産まれたって電話あったよ」と笑っていました


++入院生活++
私が入院していた時は、ちょうどベビーラッシュというか、空きベッドがない状態でした。
後から考えてみると、そのせいでギリギリまで入院させてもらえなかったんですね(家が車で10分くらいの場所にあったし)
入院して3日間は、待機室のベッドにいました。
一応別室(4人部屋)になってはいたけれど、普通の病室と違って、お見舞いに来た人がいちいちマスクをして白衣を着て、防塵のサンダルに履き替えて・・・面倒な事この上なかった(^^;)
その分、静かで、余計な気を使うことなく休む事ができた、かもしれない。
看護婦さんたちの慌しい動きとかは、よくわかったけども(笑)

赤ちゃんは 新生児室に寝ていて、授乳時間になるとおっぱいを飲ませに行くようになってました。
さすがに病室がいっぱいなだけあって、赤ちゃんもズラリと並んでいて、でも自分の子供はやっぱり特別なんですね
コワレモノのように、抱っこするのもおそるおそる。
看護学生さんたちが実習に来ていて 色々と赤ちゃんのお世話の仕方を教えてくれて、ラッキーだったな
なにしろ たくさんいたから(笑)

はじめの二晩くらいまで、後腹が痛くてしょうがなかった。
陣痛は痛みと痛みの間は、全然平気になれるのに、この「痛み」はどうしようもない・・・重い生理通のような痛み
ふつうは、経産婦さんのほうが後腹が痛むらしいんだけど、(子宮の)収縮剤を飲めないくらい痛かったです。

時間のたつのがとても早い。3時間おきの授乳タイムが、あっという間にめぐってくる感じ。
3日目くらいから ようやくおっぱいが出るようになってきて、ホッとひと安心。
はじめて 「飲んでる」と実感できた。おお、10グラム!
パットをあてていないと、寝巻きが湿ってくる位になってうれしい。



++その他++
シャワーを浴びる時間もないので(順番待ちが多くて)、ダンナがお見舞いに来たときに洗面台で頭を洗ってもらってちょっとスッキリ♪
美容院の洗髪台のように、仰向けになって洗える洗面台があって、嬉しかったのを覚えてます。

病院食は味気なかったなあ。
プラスチックのどんぶりに、山盛りのご飯・・・
おっぱいを出すために必要なんだろうけど、ご飯ばっかりどどーんとあっても、ねえ。
あんまりおいしくないよ、とは聞いていたけど、やっぱりちょっとがっかり、してしまいました。
食事は食堂で食べるんだけど、座るのが痛くて入院中ずっと、円座が手放せませんでした。
溶ける糸を使っているとかで、抜糸なし。
ラクでいいのかも〜と思っていたら、これが間違いだった。
いつまでも痛い。なんとなく違和感が残ってて、結局私は一ヶ月くらい 痛かった気がします。
家で使うために円座も買ったしね。
一時は痛くても、抜糸してもらった方がずっとラクになれるんだな、というのはふたり目のときにわかりました(抜糸された)


ちょうど長女を産んだ時は、実家の私の祖父の「3回忌」の法事と重なっていて、「じいちゃんに守られているんだな」と感謝しました
なんだかんだいっても、すごく安産だったし、トラブルもなく無事に生まれてきてくれたのも、じいちゃんのおかげかな、と。
幸せなお産ができて、すごく感謝しています。
思えば、祖父が亡くなる時も、偶然にも別の用事で里帰り中だったんですよね。
私が帰ってくるのを待っててくれたのかな〜と思いました。
不思議なことってあるものですね。



おわり


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