第6回 つくし学級  お父さんも一緒に育児  父親の家庭での役割

今回は、都合で講師の先生が変更になりました。
遠く二戸から泊りがけで来て頂いた 合川先生です。
学習塾の先生で、3人のお子さんを持つお父さんでもあります。
今回は 「父親」がどう子育てに関わるか、というお話でした。

講師の先生は「子供をどう育てるか、というよりも自分がどう育てられてきたか、詳しすぎる自己紹介から話したいと思います」と、ご自分の生い立ちと 現在の家族のこと、そして 子供たち3人のそれぞれ問題とそれに対してどう関わってきたか、ということについて、具体的にお話くださいました。

---子供の頃---

7人兄弟の末っ子で、一番反抗的だったこと。
理不尽に怒られている、と感じて、口答えすることが多かったこと。
アルバイトや奨学金で、反対されていた大学に進学し、登山やトレッキングなど自由にやりたいことをやってきたこと。
自分の親が同級生の親よりも世代が上だったっこともあり、親よりも若い先生たちの言う事の方が納得し理解することができたため、いわゆる「外面はいい」子供だったこと。

親世代の幼児期の親子関係、家庭環境(育てられ方)が、子供に影響を与える

---長男---

〔激しい反抗、チック(神経性の顔面筋の痙攣)〕

自分の小さい頃の親子関係そのもの。同じような反抗だと感じた。
自分の子供の頃は「出て行け」とよく家の外に出されたが、虐待にもつながりかねないので、「お前がそんなに悪い事をするのは父親である自分にも悪いところがあるからかもしれない」と一緒に外に出て、一晩中 山道を歩いたりした。

親が過剰に反応すると、子供は更に敏感に反応してしまう。
へらへらした態度より、ダメなものはダメと毅然と接する方がいい。
ただし、子供のプライドを傷つけないように親が妥協点を見つけてやるよう気をつける。
反抗的な子は自立心が旺盛なので、思い切って親元を離れ 距離を置いた方がいいこともある。

---長女---

〔登校拒否〕

弟が生まれたことで「いいお姉ちゃん」であろうとして一生懸命になる子だった。
親がそれをわかってやってフォローできているうちはよかったが、いつのまにかそれが当たり前のようになっていた。
そんなときに学校でちょっと嫌な事があって、たちまち登校拒否になってしまった。

「赤ちゃん返り」のような状態になったので、両親は特別扱いをした。
毎晩 お父さんとお母さんが交代で、物語の主人公の名前を長女に置き換えた「特別な」物語を聞かせるようにするうちに、長女の心も落ち着いたのか学校に行き始めるようになった。

仕事柄子供たちと接する事が多いので、「学校の先生の不用意なひと言に傷ついて学校に行けなくなった」というようなことを聞くが、それは単なる引き金にすぎない。
家庭に子供を癒してやれる力があれば、また、子供の心がストレスでいっぱいになっていなければ、大きな問題にはならない。まずは家庭の中を振り返ってみてほしい

---次男---

〔肥満 ドモリ 過呼吸〕

自分の包丁を持つほど料理と食べる事が好きで、だんだんと肥満傾向に。
両親共に忙しく、あまり食事に手をかけてやれなかった。
小学4年のとき、運動会のかけっこで最後まで走る事ができなかったことにショックを受けて親子でジョギングをはじめた。
5年生のとき、「自転車に乗れるようになりたい」と意欲が出てきて、それまでまったく乗れなかった自転車に乗れるようになり、お父さんの伴走をするようになった。
ついには 小学校の卒業記念に、東京―青森750kmを 走りきることに成功した。

他人から見て、実現不可能な突飛に見えることでも、段階を追って準備していけば必ず達成できる。
アクシデントにどう対応するか、やればできるんだ、ということを子供たちに見せてやりたかった。



子育てには問題点だらけ、マイナスの複合状態といえる家庭環境ではあるが、生活はきれいごとでは終われない。
育児書には 嫁姑問題や老人問題など載っていないが、現実の家庭生活には 切っても切り離せない問題。
家庭の中に「小さなガマン」や「問題」がないことが「良い家庭」ではない。

人間万事塞翁が馬、 良い事も悪い事も簡単に変わる。人生の吉凶は簡単には決められない。
何事も起きないうちにあれこれと思い悩んで時間を浪費せず、何か問題が起きた時に、全力でぶつかっていくしかない、というようなことを、全体を通しておっしゃりたかったのだろう、と私は感じました。

普通であれば、なかなか他所さまの「家庭の事情」に立ち入った話をきくことはできません。
今回 このような具体的な例をあげた話を聞くことができて、よかったと思います。
貴重なお話をありがとうございました。



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