種をまく人 ポール・フライシュマン著 片岡しのぶ訳
はじまりは、小さな種だった。
さまざまな人種がうずまく貧民街の一角、だれも気にとめなかったゴミ溜めが、すこしずつ変わりはじめる。
とってもいいお話です。
大仰な舞台装置があるわけでもなく、英雄が登場するわけでもなく、ただ、クリーヴランド(オハイオ州クリーヴランド市)の小さなアパート街の一角にある汚い空き地とそこに集まって来た人たち、ひとりひとりの「語り」によって、話はすすんでいきます。
解説をいれても95ページ、短いながらもいろいろなエッセンスが詰まっていると思いました。
クリーヴランドは実在しているけれど、その他のエピソードはすべて創作であると知って、ガッカリしたほどです。
事のはじまりは、ベトナムから移民してきた女の子、キムでした。
生まれる前に死んでしまって、何も覚えていない父親を思い、空き地の隅に捨てられていた冷蔵庫の陰に、ライマメの種を蒔きました。
じょうずに育てたら、きっと父さんは気がついてくれるだろう。
お百姓をしていた父さんの娘だとわかってくれるだろう、と考えたのでした。
それから、いろんな人が現れました。
窓から外を見ることだけを楽しみにしていた女の人。
グァテマラから移住してきた男の子。
汚くゴミ捨て場となっていた空き地を片付けるために、関係当局に片っ端から電話をかけまくった人。
昔、反戦会議や世界政府樹立のために奔走していたという男の人。
好きな女の子の気を惹くために、一生懸命にトマトを育てる男など・・・。
人種も年齢も境遇も違う人たちが、次々にやってきては種をまき、畑を作っていったのでした。
申し合わせたわけでもなく、高い理想をかかげるわけでもなく、皆それぞれの個人的な理由からこの「畑」に集まってくるのです。
ただ見ているだけの人も含めて、汚かった空き地は人々を癒す場所になっていました。
そして、そこに集う人たちは自然と「仲間」となっていたのでした。
「シードフォークス(種の人たち)」。その土地に根を下ろした最初の人たち、という意味かしらね。
ギブストリートの空き地に最初の年に畑をつくった人を見かけると、私はこの呼び名を思い出します。
あの人たちもシードフォークスだと思うんですよ。
子供がもう少し大きくなったら、ぜひ読ませてあげたい本だな〜と思います。
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